格差反対デモ「ウォール街を占拠せよ」について
~反非実態経済資金デモともいえる?
アメリカの各地で格差に対して抗議デモが起き、今や、問題を多く抱えたEUにも広まりを見せている。
抗議の発端はノーベル経済学者スティグリッツの論文、Vanity Fair “Of the 1%, by the 1%, for the 1%”だそうだ。
論文の中身は25年前アメリカ人口の12%の富裕層が33%の富を支配していたのが、今や1%の人口が40%の富を支配するに至っている、つまり、この25年の間にアメリカでは大きく格差が広まり、それも1%の富裕層がとんでもない富を手に入れているということだ。この格差を生み出したのは副題のとおりの1%の1%による1%のための政策であり、それは政経の癒着などにより押し進められた結果が主な原因であり、そしてそれが現在も進められて、より一層この格差が広がろうとしているということを訴えているのである。
この指摘と論文には確かに心を動かされるものがあり、アメリカのこととて、この論文によって立ち上がった99%の人々や若者たちを応援したい気持ちが湧いてくる。ただ、スティグリッツの論文は数頁のかなり短いものであり、このような格差を生み出した経済の構造や経済政策、またそのような政策を生み出した経済学の誤りも含めてまだまだ検討と議論の余地のあることはスティグリッツも認めることだろう。
このブログでは少し長くなるが、スティグリッツの論文を離れて、このような格差社会を生み出した経済の構造、経済政策を、10月末に秋山書店さんから出版していただいた『非実態経済資金と新世界恐慌』の著者として、それに対する政策、いや今後のEUの動きを含めた世界経済の動きとそれに対する対策を探し求めてみたい。
デモの話に戻れば、格差問題がなぜ“ウォール街を占拠せよ”なのかは少し考えると、特に日本人にはわかりにくくなる。
このあたりから見ていこう。ということはアメリカでは、そしてまたそれに続くEUでは大きな富が少数の富裕層に集まり、しかも、それがウォール街などでの金融取引きに集中されているということの確認とその原因を見ていく必要があるということになる。
というのは、日本ではそれほど格差が深まっていないからか、それほど多くの富が金融街に集まっているのだろうか、ということから始めなければならないからだ。
古代では富はほとんどが王やそのまわりのごく一握りの人々に集中していたとしていいであろう。中世ではそれに貴族や武士そして宗教関係者という、やはり非常に少ない人々の間で分配されていた。しかし、その中から市民が力を持ち、市民革命が起き、民主主義が樹立され、人々は自らの努力と才能によって、自らの富を得ることができるようになった。特に、古代や中世という歴史を持たなかった移民の国アメリカでは、努力と才能に応じて富を得ることができるということが国民信条にまでなっているのである。そして、25年前には12%の人々が33%の富を手中に収めていた。この12%は努力と才能によって33%を得ていた、あるいはほとんどの人々によってそう認められていたのである。しかし、今や1%の人々が40%の富を得てしまっている。
この25年間に何が起きたのか、ということになる。もちろん努力する人、才能ある人が1%に減ったわけではない。
スティグリッツは機会が得られなくなったことを指摘している。つまり逆に言えば、25年前までは機会が平等に与えられていて、努力と才能に応じて富者になれたのである。それがどうしてなくなったのかは、スティグリッツはその短い論文の中では分析していない。
もしかしたら、他の論文で論及しているかもしれないし、他の学者達が分析しているのかもしれない。しかし、日本語に翻訳されたものを見る限りは少なくとも満足がいくとか納得のいくものはなかなか見つからない。
25年前とは1986年になる。日本はこの都市にプラザ合意を押し付けられて、それに伴い日銀の低金利政策もあってバブルに突入する。それではアメリカ経済、そしてそれに並行する形でEU経済には何が起こっていたのだろうか。
その頃、アメリカとヨーロッパの先進資本主義国は1970年代、ニクソンショック、そしてオイルショックと続いた長いスタグフレーションから脱出できたところであったとしていいであろう。その間、アメリカにはレーガン、イギリスにはサッチャーと、それまでの福祉型の大きな政府を理想としたケインズ主義を排して、小さな政府、市場の論理に経済を任せるべきだとするハイエクやフリードマンの推奨する新自由主義を信奉する大統領、首相とする政権に代わっていたのである。
サッチャー政権が強固なイギリスの労働組合に対抗して、弾圧、弱体化に務めたのは有名な話であるが、それは新自由主義の立場からは労働組合とは労働力市場の市場の論理を阻害するものであったからである。一方、その頃商品市場は先進資本主義国でのフォード型の大量生産方式が行渡り、ほとんどの商品が五、六社がつくるデザインだけが違う、同じ価格、同じ中身の商品で埋め尽くされていたのである。このような商品市場については、不思議と新自由主義は市場の論理を問題にすることはほとんどなかったのである。彼等が市場の論理を押し進めたのは企業市場とでも言っていいものである。つまり、企業が企業を売ったり買ったり、吸収合併したり、いわゆるM&Aを行ったりする市場である。このような動きは資本主義の歴史でも新しい動きとしていいだろう。一方、それまでも企業は日々売り買いされていたのである。それは株式市場で企業という大きな商品を株式証券に分割し、小さな売り買いもいつでも可能にして流動性をもたせていたのである。ここにも新自由主義は大きく市場の論理を要求していく。というのは、1929年の世界恐慌とそれに続く長い深い世界的不況の経験から、第二次世界大戦後主流の経済学になったケインズ主義は、銀行や保険会社などの金融機関が株式や債券などの証券市場に参入するのを大きく規制していたからである。この壁を新自由主義は取り除いていく。いわゆるビッグバンといわれて、銀行などが証券市場に参入することを規制していた法律を取り除いていくのである。それによって銀行は株式市場で自由に株式を売買したりファンドを組んだりできるようにしたのである。
これらの一連の新自由主義の動きが経済に大きな影響を与え、今度の事態に至ったことはスティグリッツは短い論文で指摘している。
『非実態経済資金と新世界恐慌』では非実態経済資金の動きを中心にリーマン・ショックへ、そしてその後の世界同時不況にどのような影響を与えているかを分析しておいた。
ただ、ここで一つ言っておきたいことは、今度のデモや格差問題の面から見れば、企業があるいは企業経営者が自らの企業の価値や価格をとても意識して企業経営をすることになったことである。このことが大きく格差を生み出すモメントを持っていくことについては後にゆっくり見ていこう。
90年代はグローバリゼーションとIT革命の時代に入る。そして、世界経済はIT革命の発信地であるアメリカを中心に、そしてバブルの崩壊した日本を尻目に、70年代からのスタグフレーション以来の大きな好況期に入る。グローバル化によってアメリカやEUの先進資本主義国の資金が資本主義の未発達のアジアの国々に投下され、世界の実態経済は大きく拡大する。また、IT革命は産業革命以来のイノベーションでもあり、世界経済の大きな発展の要因をはらむものであった。ただ、ここでも格差問題に触れるなら、グローバリゼーションは大企業を中心の国外へ工場の移転であり、単純労働、肉体労働の移転でもあり、それに関わっていた労働者は大きく労働の機会を失っていく。また、IT革命は、パソコンを使える人間とそうでない人間の差別化を進める一方、様々な工作機械などに応用されて、そこでの熟練労働を不必要にしていくことを推進していく。また、グローバリゼーションもIT革命も、管理労働者と非管理労働者の格差を広げていく。つまり、世界経済の好況の中、アメリカを中心とする先進資本主義国において、好況にも関わらず、失業率がそれほど低下せず、労働者間でも大きな格差を生み出していくのである。
そしてもう一つの90年代はグローバリゼーションやIT革命と平行して大きく非実態経済資金も生み出されていくのである。非実態経済資金がどのような仕組みで生み出されているのかは『非実態経済資金と新世界恐慌』で分析しておいた。実態経済に入り込まない資金が、株式、債券、為替、原材料、穀物の、いわゆる投機とか相場とか言われる市場を動き回り、それが実態経済にもとても大きな力を及ぼしていくことは、投資ファンドやジョージ・ソロスという言葉や名前を挙げるだけで、90年代以後の世界の人々は認めるだろう。ただ、それがどのような仕組みや形で、世界の経済に影響、いや力を、しかもとても悪い力を与えているかは、あまりはっきりと21世紀の人々は知っていない。これは投資という言葉が株を買うこと全般に使われていて、実態経済に入り込み、生産を拡大し、雇用を拡大する部分と、単に株式市場を動き回り、それを操作までする部分とを区別しないで、メディアに使われ続けていることだけを見てもわかるであろう。経済学もこのようなことをほとんど問題にしていない。
ここで忘れないで言っておけば、投資マネーが大きくなり、株価が上昇しても、そのことによって直接雇用が拡大することは稀であるということだ。投資と言われても単に株式が売買されるだけであり、ほとんど実態経済に入り込まない大きなマネーが存在し、それが実態経済に入り込んだとしても海外の賃金の安い国々の工場建設のためであり、そこで生産された商品は、結局は先進資本主義国の労働者を困窮に陥れるだけということが多いのである。だから、その意味では『ウォール街を占拠せよ』という呼びかけや闘争方針は正しいのである。
しかし、この投資マネーは90年代後半、その海外の投資先のアジアの経済を危機に落としこめるのである。「アジア通貨危機」である。ドルにペッグ(連動)していたタイのバーツを、その頃強いドル政策、いやそれでなくてもグローバル化とIT化で70年代以後の絶頂にあったアメリカのドルに対して、バーツは弱いと見たジョージ・ソロス達がバーツの空売りをはじめ、バーツの暴落、タイ経済の混乱、そして、同じようにインドネシアや韓国などの経済を窮地に追い込んでいくのである。アメリカに集まる投資マネーにはタイの為替市場はとても小さな市場であったのだ。だから、この時、アジアの諸国から『ウォール街を占拠せよ』の声があがってもおかしくなかったのである。
ここで注意しておくべきは、このアジア通貨危機はタイやインドネシア、韓国などの一定の資本主義の発達した、そして民族資本もかなり発達した国々に起き、中国やベトナムのようないわゆる新興資本主義国では起きていないことだ。この時韓国などはIMFへの救済を求めるほどにまで打撃を受けている。
アジア通貨危機以後は“質への回帰”と言われ、投資マネーはアメリカやヨーロッパの先進資本主義国へ戻ってくる。そこで起きたのがITバブルで、ITのベンチャー企業を中心に、投資マネーが大きく注ぎ込まれ、企業への過剰な投資と株価の異常な上昇を生み出す。しかし、それはバブルであって2001年に崩壊する。
このバブルの崩壊は投資家の中のどれだけかの部分の貧困化をもたらしたと考えていい。1986年の33%の富裕層からおちこぼれを生み出したのだ。そして、グローバリゼーションやIT革命は労働者の中の失業の拡大や格差の拡大を生み出したが、バブルの崩壊は富裕層からのおちこぼれを生み出した。しかし、それだけにとどまらず、バブルの崩壊は次に不況をもたらし、これは失業と貧困をもたらす。
ITバブル崩壊後の不況対策のためにFRBは低金利政策を打ち出す。その低金利を見込んで生み出されたのがサブプライムローンである。
サブプライムローンはサブプライム=信用度の低い人々に高金利で金を貸し出し、リスクの高さを証券化して分散する、金融工学の美しい商品であったのだ。この美しい商品は、人々や金融機関を引きつけ、大きな市場を作り、アメリカだけでなく、ヨーロッパへ、そして少しぐらい信用の低い人ではなく、どんどん貧しいリスクの高い人々に貸し出されていったのである。
つまり、“質への回帰”としてアメリカやヨーロッパに呼び戻された投資マネーがIT革命を起こし、ITバブルを起こし、それが崩壊し、その残った投資マネーと新しく生み出されてくる世界の非実態経済資金をサブプライムローンは大きく引きつけていくのである。
サブプライムローンは、今まで投資マネーが、消費者ローンを除けば、株式を中心に、つまり資本と言われるものとその証券の値上がりに使われてきたのに対し、これは消費のために貸し出されたのである。このことは、サブプライムローンは消費の拡大、そしてそのまま実態経済の拡大を招いていくことにもなるのである。実際、アメリカ経済は立ち直り、消費も雇用も拡大していく。しかしこの拡大を健全なスピードで保つには、世界からの投資マネーはあまりに大き過ぎたのだ。サブプライムローンもどんどん低い信用の層に貸し出されていくのである。ここで注意すべきは、証券市場というのは最も流動性の高い市場であるということだ。ひとつ悪い噂が広まると、あっという間に資金は引き上げられるのだ。
リーマン・ショックが起きた。そしてその後の世界同時不況で企業は仕事が激減し、失業者が街にあふれた。
サブプライムローンとそれに続くリーマン・ショックは、サブプライムローンとして金を借りていた人々の返済不能、サブプライムローンを織り込んだ証券を買っていた人々の富の喪失を生み出していく。さらにそれに続く株価の下落、それによる不況によって、労働者、中小企業、いや大企業にさえも、失業の増加、賃金の低下、売り上げ減少を生み出すのである。このことによって大きく貧困層を生み出し、12%→1%という富裕層の減少を生み出したとしていいであろう。そして33%の富が40%への集中を見せたのは、常識的な推測をすれば、値の下がった株や債権やファンドを手放さざるを得なくなった人々から、残りの1%にうまく残れた人々が買ったことによるだろう。また様々な企業のM&Aが行われたことも考えなければならないだろう。
リーマン・ショックはその1,2年後には持ち直しを見せ始める。しかし、その中でもウォール街を中心とした金融街では、富裕層の中での淘汰が進んだと考えていいし、実体経済の中でも、倒産した企業や、またM&Aが行われ集中化が進んだとしていいであろう。つまり日々刻々、1%化が進んでいたのである。
ただここで注意しておくべきことがある。まず40%の富がすべてウォール街や金融街において動いていることはないだろうということである。40%の富には株や債権やファンドでない、土地や建物の不動産や証券でない資金も大きく含まれているはずである。また一方、99%の人々が預けた銀行預金や保険や年金の掛け金も、それらを預かった金融機関がその金の大きな部分を株や債権などを買い込み、有利なファンドを手にしているのである。また、それらの金融機関は自らもファンドを売り出しているのである。このことは確認しておく必要がある。なぜなら今や、EU危機が世界経済の危機になろうとしているのであって、これらのことの確認はどうしてもしておく必要がある。
もっとストレートに言えば、99%の富も喪失したり減少したりする恐れが、その一連の危機で起こりうるのである。
以上は25年間の12%→1%、33%→40%の動きを見てきた。次に、これらを見た上で、“ウォール街を占拠せよ”というスローガンとそれに伴う闘争方針を検討してみよう。
運動の実体がメディアで伝えられるだけであるので、なかなかつかめない。その中から手探り的にとらえてみよう。
格差を問題にし、“搾取”という言葉も使われているところから、資本主義そのものに対する共産主義やマルクス主義のイデオロギーも見えてこないわけではない。しかし、今のところ参加者の多くは、現実のアメリカやEUにおける社会における貧困、そして自分の生活の貧しさから来る怒り、憤りが大きなエネルギーになっているとしていいであろう。様々な抗議行動はかならずや自然発生的部分を持っているが、今度の動きも自らと自らの家族、そして友人や仲間、99%の人々の貧困とたった1%の人々のとんでもない富裕に対する怒り、憤り、耐え難さという自然発生的エネルギーを持っている。
しかし、今度の運動はその矛先をウォール街をはじめとする金融街に向けている。金融街というのは、確かに、マルクス主義的に言っても資本の集積する場所である。そして、格差に反対し搾取を許さないものとするならば、過去の共産主義の運動と同じ内容を持っているとしてもいいのだ。だが、思い出してほしいのは過去の共産主義的闘争の構図のほとんどが労働組合対企業主=資本家という形をとっていたことである。ヒルファーディングの『金融資本論』が出されて1世紀以上も経っている。そこで彼は、企業の自由主義競争の末、資本の集中が起こり、寡占や独占企業が誕生し、それらの上に一国の資本主義すべてを支配するいくつかの巨大金融機関、金融財閥が形成されることを描いて見せた。しかし、金融資本そのものに対する闘争、あるいはそれに絞った闘争は共産主義、社会主義の歴史においては現れなかった。闘争は企業の個別闘争の次は国家と闘い、資本主義体制そのものの転覆と共産主義の樹立という方向を取った。確かにレーニンの『帝国議論』をはじめとする闘争の方針に国民の一部の財閥金融資本に対する闘いとあるが、それも基本的には革命と、そして新しい共産主義体制の樹立を目的としたものであった。
今度の運動はそのような共産主義革命とほぼ無縁だとしてもいいだろう。1990年前後にソ連と東欧共産主義国が崩壊し、現在共産主義をかかげる中国とベトナムも共産主義からほど遠い経済体制にあり、唯一資本主義の浸透していない北朝鮮は貧困と断圧の国であるなら当然である。
今度の運動は共産主義運動とは無縁であり、かつ、かつての資本家対労働組合の形をとっていない、金融資本だけに抗議の矛先を向けた新しい動きであるということだ。いや、もっと狭い意味で金融取り引きそのものを指しているかもしれないと思われる。どのようなスローガンが出されているのかは、テレビの報道を見ている限りではわからない。インターネットでの呼びかけが大きな力を持っていると聞いているが、参加者がそれぞれの思いを投げかけていることが想像される。ただ、おおよその共通する思いは、ウォール街に代表される金融取り引き市場には世界中のマネーが集まり、ここに巨大な富が生み出され、その富が1%の富裕層にのみ分配され、99%の者達には分配されないで、格差が開いているとするものであろう。あるいは搾取という言葉が意味するところは、金融取り引きで生み出される富は、そもそも99%の労働から生み出した富であってそれを金融取り引きが不当な形で吸い上げてしまっているということだろう。
ただ、ここで一つ言いたいのは、この金融取り引きの場を取り囲む構造はとても複雑で、デモ参加者達もそんなに明確な形でその構造をつかんでいるとは思われないことだ。どのように世界のマネーが集められ、搾取されているとしたら、どんな形で道筋で行われているのかと明快に示した本はスティグリッツを含め、今のところ見当たらないからだ。
今度、秋山書店さんから出版することになった拙著『非実態経済資金と新世界恐慌』では、実態経済の資本の循環から生み出された資金が次の資本の循環に全てが入り込むことなく、入り込まない部分が銀行や保険会社や年金機構等によって集められ、先に見たようにそれが90年代ではグローバル経済という世界の実態経済の拡大に使われたが、1990年代のアジア通貨危機、それ以後“質の回帰”としての米欧への逆流化によってITバブルを引き起こし、それが破綻するやその後の低金利政策によってサブプライムローンを生み出し、リーマン・ショックに導く様を構造としてとらえて描いてみせたつもりである。
つまりは、ここでは非実態経済資金が世界経済に襲いかかり、それがリーマン・ショックを、そして今日あらたなEUの危機を、そして世界経済の破綻の可能性を描いてみせたわけである。
これを今度の運動の中で言われていることにあわせて言い換えるならば、非実体経済資金は世界の金融取り引きや世界経済を混乱させ、それが99%の貧困を生み出したとなるだろう。
しかし、今度の運動はそうではなく、世界の金融取り引きが直接働いて、99%の貧困を生み出しているかのように言っているふうに聞こえてくるのであるが、どうだろう。
『非実態経済資金と新世界恐慌』では、世界の非実態経済資金が新世界恐慌に導くことを主眼に書かれている。だから、その過程での多くの人々の貧困化についてはほとんど触れていない。これまでそれがどのような道筋で起こりうるのか、あるいはそんなことは起きないのかを検討してみたい。
金融取り引きが問題になっている。金融取り引きには銀行間取引も含まれる。しかし、運動の攻撃の的がウォール街であることから人々が第一に頭に浮かべる株の取り引きに限定して考えてみよう。
株の取り引きも複雑な構造を持っているのは『非実態経済資金と新世界恐慌』で触れておいた。
株式市場での取り引きには二種類あるのだ。新しい企業が設立される時や、今ある企業が新しい株を発行するいわゆる増資と言われるものがある。いわゆる新株の発行である。この時は発行した株式の売れた金額を企業は取り入れて設備や新しい従業員や材料を買うのに使う。これによって実態経済は拡大する。もう一つ、株式市場にトレーダーどうしの取り引きと言ってもいいものがある。これはAが100円で買った株をBが120円で買うような取り引きである。この取り引きによってAは1万株持っていれば20万円の、100万株持っていれば2千万の利益を得ることができる。ウォール街や株式市場周辺で取り引きをするお金持ち、そしてトレーダー達に取り引きを任せたり、ファンドを大きく買っているお金持ちはこれによって大きな利益を得ている。反格差のデモンストレーションが1%の富裕層と言った時、思い浮かぶのがこの人達である。
ただ、このようなトレーダどうしの取り引きでは、搾取とか貧困層をつくり出す要因は見当たらないのだ。Aが一株につき20円の利益を得たのはAが持っていた株の企業が利益が拡大、あるいはその見通しの情報が流れたからである。この企業に勤めている従業員ももしかしてボーナスを余計にもらえるかもしれない。このことそのものでは貧困は生み出されない。このような利益は景気が良ければ、そして株式市場により多くマネーが流れ込めば、株価は上昇し、より大きな利益が生み出される。株価が上昇すれば景気も良くなり、雇用も拡大し、労働時間も長くなり、賃金も上昇するかもしれない。このようなことだけで貧困層は生み出されない。運動の標的がこのようなことだったら、運動は気分だけの盛り上がりになって、早晩挫折してしまうだろう。なぜなら、このような利益はリーマン・ショックや今度のEUの危機が起これば、ふっ飛んでしまうし、その時こそ多くの企業のボーナスや給料が下がり、また多くの人々が失業するのである。そして、金融界で金儲けをしていた人々も一体になってどん底を味わうことになる。もちろん、その時は1%の中でまた新しい淘汰が起こり、もっと富裕層が小さい数字になるだろうが……
しかし、この時も、このような金融危機や世界同時不況を起こしたのは、上のような金融取り引きが過剰に行われたからだとするなら、それは運動の目標として正当になるだろう。実際『非実態経済資金と新世界恐慌』では、上のような取り引きに実態経済が入り込まない株式市場や資本市場を動きまわる非実体経済資金がどのように生み出され、それがサブプライムローンなどを経てリーマン・ショックを生み出した流れを構造として解き明かしたつもりである。
ここでのポイントは、株式での取引の利益は市況が好調ならば企業に資本を投資するよりずっと大きな利益を生むことがあるということだ。株価の上昇による利益はリスクは伴うが、地道な企業経営による利益よりずっと大きいのが普通なのだ。先ほどのAさんは20%の利益を得たが、企業で20%の利益はよほどの好況でないとありえない。そして、この大きな利益は証券市場に大きく資金を呼ぶのである。大きな資金の流入は、より高値を生み出す。高値はより資金の流入を促す。
だから今度のデモのスローガンが「金融取り引きを規制しろ」というのは正しいだろう。しかし、この規制はやり方をまちがえると不況が長びくあるいはあらたな不況に導くだけになる。なぜなら今や世界経済の動向は世界の株式市場の価格の上昇に牽引されているからだ。規制すると資金が流れ込まなくなり、株価が上昇しなくなるからだ。これらの詳しい仕組みは『非実態経済資金と新世界恐慌』で解明しておいた。
証券の取り引きを規制し、非実態経済資金によるリーマン・ショックのような恐慌をなくせというのは闘争のスローガンとして成り立たないわけではないが、それ以上にこのことは経済政策論の問題なのだ。現在の非実態経済資金が主導する世界資本主義を安定的発展に導くような経済政策論は皆無である。ギリシャ問題に対するEUやG20などの協調は問題を先送りしているに過ぎないことは誰の目にも見えている。それではどうすれば抜本策が生み出せるのか。今世界の経済学会で明確な提案ができる学者は一人もいない。みんな黙っている。
ただ、次のような闘争目標は貧困をなくし、かつ世界経済を安定にするのではとして、ここに提案してみたい。
株の取り引きのところで、すぐに非実態経済資金のところに入ってしまったが、実態経済に入り込んだ資金についてもう少し考えてみよう。
実態経済に入り込むのは、増資や、新しい企業の設立に使われる新規の株の売り出しである。これらは新しい設備や原材料、部品の購入、そしてなによりも新しい雇用を生み出し、かつあらたな利益を生み出す。このことによって経済は拡大するのだ。また企業の利益が拡大し、利潤率が上昇すれば、株価も上昇する。株価が上昇することは企業の株価が上がることであり、また新しい投資が生まれ、企業は拡張し、これが多くの企業でなされれば経済が拡大し、良い循環に経済が入り込む。
このような企業と経済の大原則に1970年代以後次のような傾向を企業が持ちはじめるのである。
これは先にも見たとおり、市場の論理がこの時代から働く場所を大きく変えていくことに関係しているとしていいであろう。
前に見たことのくり返しになるが、もう一度復習的に見ていこう。
1970年代、先進資本主義国ではフォード型生産システムは多くの商品分野で行きわたり、大型量販店も大きく力を伸ばし、多くの商品がデザインだけが違う類似商品が同じ価格で売り出されることになる。つまり、商品市場では市場の論理は働かなくなる。その代わりのように各企業の競争は利益の追求、それを評価する株式市場に移行する。つまり、類似商品をつくっていても各企業それぞれつくり方が違っていて生産コストが違うのである。それは利潤と利潤率に反映されてくる。そして利潤と利潤率を評価するのが株式市場なのである。そうして株価が上昇すればより効果的に次の生産拡大のための新株を売り出せるし、金融機関からの借り入れもしやすくなる。このことから、大企業を中心に利益追求、株価上昇が至上主義になる。利益の額や利潤率や株価はまぎれもない数字で表される。これは企業の目標としてもとても使い易い。
この頃、大企業では社長もオーナー社長というものに替わり、従業員として雇われ、その実力が認められ、昇進して社長になった人々が多くなる。そのような社長は後ろに控えるオーナーや、大株主や、一般人を含めた株主総会では、その社長に就任した一期一期の成績が大きく評価される。社長だけでなく、企業内の各部所も大きく利益に対する貢献度、それを数値に表したもので評価されはじめる。部長も、課長も、各従業員もその部所その部所での売上数値、生産高、そしてそれから出た利潤と利潤率で大きく評価されるのである。各部所は生産効率を高めて生産コストを抑えることが至上主義になる。
原材料や調達した部品の無駄をなくし、何よりも労働力の無駄をなくす。原材料や部品の価格や品質だけでなく材料をなるべく少なくする。労働力も価格も低く、一分たりとも無駄をなくす、在庫は徹底してなくす。つまりジャス・インだ。労働力は正社員では需要の変動があれば無駄ができる。単純作業を中心に徹底した非正規化やパート化がはかられる。だから、リーマン・ショックなどが起きれば、少なくなった需要に合わせて非正規社員と契約の解消すればいいから、公園に多くの人々の寝とまりがはじまり、街は失業者であふれ、中小企業は仕事が半減、3分の1に激減したのである。
このようなアンチ・ヒューマンな企業の動きがどこから出てきたのかは先に見たとおり、利益至上主義、株価至上主義がもたらしている。このことをもって、ウォール街や金融街に、そしてそこに上場している企業に、株価至上主義はやめろというのは99%の貧困を生み出している原因を問題にしていることとなり、スローガンとしては正しいことになる。
それだけでなく、このような利益至上主義、株価至上主義は経済の流れとしても非常に危険な構造を持ち、ひいては金融街や、そこに上場している企業にとっても、とても危険な状況をつくり出すことは訴えておきたい。
株価至上主義は株主最優先の考え方である。株価至上主義の企業の株価は上昇するだけでなく、利益の多く、最大限を株主に配当としてわたす。このようなことによって、また、その利益の上がった企業の株が人気が出て、その株価は上昇する。このことによって富裕層の手許に入った富がまた株式市場に引き寄せられ、また株価が上がる。このような循環がくり返されるうちに、非実体経済資金が大きく生み出される。株式市場や債権市場などの証券市場に大きなマネーが流れ込むのだ。この大きく流れ込んだマネーが株式市場で足りなくてサブ・プライムローンを生み出したり、ギリシャやイタリア、スペインの国債を大きく買っていたのは今や世界のみんなが知っている。非実態経済資金はそれが大きくなると、世界経済に大きな悪さをするのだ。
それだけではない。この株価至上主義は、何度もくり返すが、ケインズが警告した“有効需要の論理”に経済が陥る構造をつくり出してしまうのだ。“有効需要の論理”の中身は所得の拡大に比例してそれほど消費は増加しないことを出発点としている。この論理がぴったしありあてはまるのが1%の富裕層なのだ。彼等の手には企業のあげる利潤の大きな配当が入る。この大きくなった所得を彼等は全て消費してしまうだろうか。けっしてそうではない。彼等はもうとっくに豊かな生活をし尽くしているのだ。お金持ちが一番望むことはよりお金持ちになることだ。彼等がすることは手にしたお金でまだより値上がりのしそうな株や証券を買い、時にはマンションなどの不動産も買う。このような市場はお金が入り込めば入り込むほど値を上げる。より多くの資金が入り込む。つまり株価至上主義は恒に経済をバブルに導く危険をはらんでいることになる。
また、もう一つ企業の利益至上主義は次のような消費の伸び率の鈍化、あるいは縮小に導く。つまり、企業が賃金上昇を抑え非正規雇用化、パート化を進めれば、企業に働く者達の収入が伸びなやんだり、縮小したり、ゼロになったりして、これは消費の拡大に大きな歯止めをかける。つまり、利益至上主義や株価至上主義は経済全体の拡大に比例して消費が拡大しない傾向をつくるのだ。経済の拡大に比例して消費が拡大しなければ、そしてその分投資が拡大しなければ、ケインズの警告したとおり、本来の需要供給曲線が交わるよりも、より低い点で需要供給曲線は変わってしまう。つまり、経済の拡大が鈍化する。時には縮小してしまうのだ。ただし、それは実態経済のことだ。実態経済が鈍化しても株式市場はまだまだ大賑わいだ。つまり、需要供給曲線が低い点で変わる分が非実態経済資金になって証券市場を飛びまわることもあるのだ。このような実態経済の鈍化に合わせて、非実態経済が拡大するのは経済にとってとても危険な状態である。今度のリーマン・ショックに至った世界経済では2001年のITバブル崩壊後のFRBの低金利政策もさることながら、このような構造に経済が陥ってしまったことも見落としてはいけないだろう。つまり、株価の上昇やサブ・プライムローンを生み出す大量の非実体経済資金をつくり出す構造である。
ここで言いたいのは貧富の格差の問題の上ではもちろん、利益至上主義、株価至上主義は見直さなければならないが、経済の安定化のためにも見直す時に来ているということだ。
それだけではなく企業の安定のためにも見直した方が良いということをここで付け加えておこう。
企業が株価至上主義にのっとり、利益至上主義の運営した場合やはり次のようなことが懸念されるのではないだろうか。
まず、株価至上主義というのは企業の所有者は株主であり、この株主を最優先に考えるという視点である。しかし、ここにとんでもない問題点が潜んでいる。株主は日々刻々変わっているということだ。株主が要求するのは、せいぜい今期の利益であり、彼等が一番欲しているのは手持ちの株の価格の上昇なのだ。空売りの場合は逆のことまで考えられる。しかし、企業というのは、けっして短期的な視野で運営されてはならない。ある意味では永遠の生命を持つものとして運営していかねばならないのである。(こんな考え方はM&Aなどを視野に入れていないといわれそうである。)少なくとも、企業の投資と教育は長い視野を持って行わねばならない。そして、その投資や教育が企業の利益のもとになるイノベーションを生み出していくのである。ところが利益至上主義を企業が追求した時、まずは次のことが懸念される。会社の利益は数字に現れ、各部所の成績も各期毎、いやもっと四半期とか月毎とかはっきりとした数字で表される。この数値を少しでも向上させるために、社長をはじめ、各部所、そして社員それぞれが一生懸命働いたのは、非常にわかり易いし、社員もある意味で働き易い。しかし、この時の数値は恒に今期になってしまうのだ。そして、ボーナスや昇給も人事も参考にされるのは今期と前期の数字である。このような状態に企業が入り込むと、企業全体が長期的視野を失ってしまうことになりかねない。
企業は大きな企業になるほど、創業者や発展期の神話的社員の寝食を忘れた努力が大きなイノベーションを生んだ過去の財産を持っている。今やそんな歴史を持つ企業でもそのような話は昔話になりつつあるのではないだろうか。
今や大企業だけでなく中小企業も海外進出し、グローバル化している。企業経営も地球的規模に立った、世界経済の長期的変動、地球環境、世界の政治情勢、地球全体、各人一人一人の福祉を視野に入れたものが求められるし、それができるし、していかねばならない時代に入っているのではないだろうか。
最近、これらのデモやEUの危機的状況から、金融取り引き税が云々されている。今まで見てきたように格差問題もリーマン・ショックそしてそれに続く世界同時不況、そして今後のギリシャに端を発するEUの危機も確かにウォール街を中心とする世界の金融取り引きが大きく原因となっている。ただ、金融取り引き税はその制度化や運営はかなり難しいし、下手に動けば、株価の低迷を招く恐れがある。株価が下落すれば、今度は景気が低迷することは忘れてはいけない。なぜなら株価は消費も投資も大きく左右するからだ。株やファンドを持つ人々は自らの消費を自らの投資の価格である株やファンドの価格で決める傾向にある。それ以上に企業は自らの株価を投資の指標にしているところが大きいのだ。格差問題はもちろん大きな問題であるが、景気の低迷は弱者に直接に打撃を与えることは、先にも見たとおりであるし、リーマン・ショックの時多くの人々が職を失い、住居も失ったことが教えている。
日本では消費税の10%が国際公約になってしまった。しかし、消費税は消費する者に平等にかかり、格差社会では弱者に大きな負担になり、かえって不平等な税であることは忘れてはいけない。日本のことであり、日本はまだアメリカほど格差社会になっていないという識論もあるだろうが……
格差問題に関しては累進課税の引き上げの方が、制度面運営面でも容易であり、景気に対する影響も少ないであろう。また、消費税よりも景気に対しては基本的には影響も少ないし、結果としては社会的平等を生み出すはずだ。ただ、所得税の重税化はやはり有権者には嫌われ、政策としては特に選挙を控えた時は、なかなか賛同されにくい。ただ、今後は大きく検討されるべき必然性があるはずだ。
「ウォールストリートを占拠せよ」というスローガンに戻ろう。このスローガンはスローガンが多くそうであるように、やはりシンボル的で、そのむこうに多くのはっきり見えないものを隠しているということだ。ウォール・ストリートが金融取引きを象徴しているにしても、金融取り引きそのものはとても複雑な仕組みを持っているということだ。デモが単なる破壊でなく、その問題の解決を要求し、格差のない一人一人の人間が少しでも幸せに暮らせることを目的とする、一人でも苦しみを取り除くことができることを目的とするならその問題点を複雑な仕組みの中から浮き出せることが必要になるだろう。スティグリッツのその後の9月の論文『Rethinking Development Economics』という小論文を読んでも、まだまだ明らかにならない。この金融取り引きのかかえる問題を明らかにすることは世界の経済学者の緊急な仕事のはずである。スティグリッツだけでなく、多くの学者がそれに労を傾けることを願って止まない。
本当に、格差問題だけでなく、EUの危機だけでなく、世界経済の危機、人類の危機が目の前に迫っているのだ。
経済は人間がつくり出したものであるが、人間はそれを完全には理解できていない。
1929年の恐慌はケインズの『一般理論』もニューディールも救うことができなくて、第二次世界大戦に突入したのではないだろうか。
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